名前 中尾 弥生(なかお やよい)
生年月日 1964年3月28日
血液型 A型
趣味 旅行・読書・テレビでのスポーツ観戦(主に駅伝・マラソン・女子バレー・卓球)
家族構成 夫・娘二人・孫二人
年表
●1964 埼玉県入間市に生まれる。
●1988 結婚して愛知県へ転勤。初めて埼玉以外の場所に住む。
●1990 鹿児島県の離島、沖永良部島へ。
●1993 福岡県の北九州へ転勤。
●1995 山口県防府市へ転勤。
●1998 岐阜県各務ヶ原市へ。
●2000 埼玉県狭山市へ移住。現在に至る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●1964~1979
小さい頃は大人しく本ばかり読んでいたようです。中学時代はレイジーの樋口宗孝さんが大好きでした。
●1979~1984
高校、短大は女子校を満喫。高校時代は、小生意気な女子高生でしたね(苦笑)
●1984~1988
就職し約4年働き、結婚のため退社。後に転勤三昧の日々となる。
●1988~1997
娘二人授かる。
転勤しながらの子育てでしたが、社宅の皆様や転勤先の地元の皆様に支えられ楽しい日々を送りました。
周囲の皆さんも一緒に娘たちを愛してくださったので、子育ての不安に押しつぶされずに頑張れました。
今でも感謝しかありません。
●1997~2015
専業主婦からパートへ。パートから正社員へ。
何ヶ所か職場を変えながらも子供が小学校高学年になった頃には、正社員の事務員として働いていました。
●2015
ヒプノセラピーに出会い、今までの想いをやっと手放すことができた思い出深い年。
ヒプノセラピーと占いを、怒涛の如く勉強。
●2016
ヒプノセラピールーム「みちくさ野はら」オープン。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【ヒプノセラピーを受けるきっかけは?】
51才から、初めて保育士をすることになったからです。
幼児教育学科卒業なので保育士資格は持っていましたが、親子問題を抱えていた私は、子どもと関わる仕事に就くことが怖くて、短大卒業時には保育士にならない選択をしました。
自分が持っている傷が、子どもたちにマイナスな影響を与えてしまう可能性を考えると怖かったからです。ですから、ずっと事務員として働いていました。
50才の時、自分の人生がもうそんなに長くないことを悟りました。それは、今すぐ死んでしまうということではなく、やりたいことをやれる時間が、わずかであると感じたのです。
やり残したことをノートに書きだしたら、一番の後悔が「保育士をやらなかったこと」でした。
我が子を育てたことにより「どの子も誰かの大切な子」なのだという実感を持てる自分になり、「今なら、保育士ができるかも」と思い、転職の面接を受け、運よく正職員として採用されました。
でも、母との問題は未解消のままでした。この時、母はすでに亡くなっているのにも関わらず、許せないままだったのです。
それまで、何もしていなかったわけではありません。親子問題の本を読んだり、カウンセラーの養成講座を受けて、心理学を学んだりと、なんとか解決できないか?と模索していました。知識を得ることによって、頭で納得することはできましたが、どうしても心から納得することができませんでした。
保育士として働くまでに、なんとか親子問題を解消したかった。
「こうなったら、今まで怪しいと思って近寄らなかったスピリチュアルなセッションを受けてみるしかない」と、悲壮な決意の中出会ったのが、ヒプノセラピーだったのです。
【受け始めはどうだったか】
3回目くらいまでは、「こんなんで本当に良くなるの?」と、思っていました。
保育士になるために四の五の言っている暇はなかったので、やってみるしかない状況でした。数か月後に保育士になるという切羽詰まった状態でなかったら、現実が変わることを実感する前に止めていたと思います。
【信じていくようになって、どのようにして提供する側になったのか】
自分の変化を感じたのは、古くからの友人に「最近、褒めたら素直な返事が返ってくるね。何があったの?」と、聞かれたときです。初めてヒプノセラピーを受けてから、半年以上が経っていたと思います。この頃には、ヒプノセラピストの養成講座を受け始めていました。
その頃から、母に対しての想いも全く変わっていきました。
「母も未熟だったのだ。あれが、母なりの愛情だったんだ」と、母の笑った顔や、孫を送るときの淋しそうな顔を懐かしく思い出す日が多くなりました。
一方、あんなに希望に満ち溢れて始めた保育士でしたが、足腰が立たなくなり、たった4か月で辞めざるを得なくなりました。51才からの正職員は、身体的に無理でした。
年度途中で辞める無責任さ、申し訳なさ、自分の不甲斐なさ。
大きな挫折でした。
仕事もなくなり、初めて失業手当を貰いながらボーっとしていた時に、先生からヒプノセラピストの養成講座を勧められました。
「暇だし、やることないし、受けてみようか」と、本当に軽い気持ちでした。
そこでガッツリと自分と向き合う楽しさに、どっぷりハマりました。現世だけが影響しているわけではないこと。潜在意識の大切さ。
それまでの価値観、正義だと信じていたことが、自分を縛り付けていたこと、人を裁いていたこと等、色々な気づきがありました。
何より、あんなに嫌いだった母のことが、嫌いではなくなった。自分とトコトン向き合ったことで、母を理解できたからです。母の問題ではなく、自分の問題だったと、やっと腑に落ちました。長かった~。
現実は、「51才無職」でしたが、悲壮感に苛まれることもなく、「どうにかなるでしょ」と、楽観的な自分にも驚きました。今までは、次の仕事を決めてから転職をするくらい、心配性で安定志向だったのに、「私が働こうと思えば、どこかで働けるでしょ」と、思えている自分が嘘みたいでした。
初めて、ヒプノセラピーを受けてから一年後。
ヒプノセラピーを多くの方に知ってもらいたくて、無職だったことをいいことに、ヒプノセラピーを提供する側になりました。他にしたいこともないし、その時一番したいことがヒプノセラピーだったのです。
でも、51歳で勇気を出して保育士になったこと。それなのに、すぐに挫折したこと。そのタイミングでヒプノセラピーの講座を勧められたこと。すべて繋がっていると思っています。
今では、大いなる導きによって、私はヒプノセラピストになったと信じています。
ヒプノセラピーを提供する側になった今は、お客様との深い関わりに喜びを感じる充実した日々を過ごしています。